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7月22~24日 信州旅行と田んぼアート

今年も信州に行ってきました

二年続けていったので、今年はまた北海道にいくつもりだったんですが
6月に行くはずが、バタバタしてる間に、待ちきれないヨメが先に友達と行ってしまったので
今年も急遽信州になったんでした

季節的にはもう真夏なんですが、今年はまだ梅雨明けしてなくて、涼しくてよかったんですが
帰りの電車が集中豪雨で立ち往生して、あわや車中泊になるかもというトラブルにもあいました


レンタカーで走り始めてすぐに、道の横の田んぼに、こんな絵が現れました

  
対面にある道の駅に、それを見るための大きな展望台がありました

  
上がってみると、道を挟んだ正面の田んぼに、大きな絵が描いてありました

  
これは、今の大河ドラマ”いだてん”の中村勘九郎ですね
それにしてもリアルに描いてます

最初はペンキで書いてるんだと思ったんですが、係員さんに聞くと
色の違う稲を植えて絵にしてるそうです

  
下にはたしかにその苗の実物がありました


それを絵に合わせて色分けして植えてるそうですが、それでこんなリアルな絵が描けることが
まだ信じられなかったんで、もう一度下に降りて真近で見てみました

  
遠くにある顔のあたりはよく見えなかったんですが、近くの絵は確かに稲だけで色分けされてました


係員さんに詳しく聞くと、まず展望台を建てて、そこから指示しながら、コンピューターで
割り出したレアウトに合わせて、地元のボランティアの人が植えていったそうです


反対側から見ると、こんな絵になるそうです。イメージは道路に書いてる標識と同じですね


植え付けには、当の勘九郎とオリンピックメダリストの有森裕子さんも参加したそうです

ところでオリンピックといえば、女子レスリングの伊調馨さんは、もう出られないんでしょうか?
前の男子柔道の野村君の時も思ったんですが、日本は選考に融通が利かないですよねー
野村君の時は4連覇でしたが、伊調は色々あったけど何と5連覇のチャンスなんだから・・
五輪5連覇って、今までの長い歴史上、誰も達成していない超ミラクルな記録なんで(4連覇すら数人)
成功者の足を引っ張るようなことばかりせずに、何とか後押ししてやればいいのに・・
(まあでも意地悪な協会が許さんか)

今回も色んなギャラリーに行ったんですがたまたま通りががりに見つけた最初のアートが
一番面白かったかもしれません(笑)

・     ・

  
ガーデンはもうどこもメインの花は終わって、ほとんど緑だけのお庭になってました

  
それでも、たまにあちこちでみつける紫陽花がきれいです

 
ここはめずらしくチューリップが沢山咲いてると思ったら


ガラスの花でした

  

まあ、自分としては花よりもこんな緑が好みなので、今が一番深い緑の雑木林に癒されました


  

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そんなクヌギの木の下では、カブトムシが争いながら樹液を吸ってました

  

山の中にあるカフェの横は、蕎麦畑になってました


お宿もすごい山の中で、大きな露天風呂がありました
このお風呂は、学生時代に地元の友達に連れてきてもらった事があるんですが、
あの時は皆で泳いで、はしゃいだことが懐かしいですね

たしかその時は真ん中の仕切りがなかったんで、ひょっとしたら当時は混浴だったのかも

 
初日の宿にも露天風呂が付いてましたが、夜明けに朝風呂した後のベランダでの
森林浴が気持ちよかったです


格子の間から見える、朝露の葉っぱがきれいです

  
宿の帰り道の展望台からは、ダム湖とそこから流れる川が見えますが、里の町はまだずっと下です

湖といえば、今回もおじゃました湖岸のオーベルジュ。今回はランチに行きました


こんなに早く、またこの景色を見ながら食事ができるとは思いませんでしたが、
やっぱりここはサイコーです

  
インテリアは、いつ見てもまるで一つの作品の様で、ずっと見てても飽きないんですが
芸術の分野に、もしそんなジャンルがあったら、こちらは絶対に大作家さんでしょうねー


それと、ここの植栽はなんでこんなに元気なんだろう・・

前回は緊張してあまりオーナーさんともしゃべれなかったんですが、今回は昼間だったこともあって
聞きたかった前のお宿の事や、移転の裏話等々、いろいろお聞きすることができました

帰り際には、手作りで出来たばかりのウッドデッキや斜面の階段を、ちょっとどや顔で
見せてくれました(スゲー体力!、そして意外とおちゃめ)

「宿はあと4~5年かな~」と言った後に、「やりたいことが沢山ありすぎてこまる(笑)
とも言ってましたが、全然大丈夫でしょう!

5月3~6日 田舎のゴールデンウイーク、令和元年



連休後半は、姉貴と二人でまた帰省しました


年号も変わって初めての帰省ですが、特に田舎は何も変わらずいつもの風景でした
この風景がいつまでも変わらないのがなによりですが・・)


ただ実家の壁の文字が、”令和”に変わってました。やっぱり楷書が一番難しいそうです

有線放送で、隣町でアートフェスをやってると言ってたので、行ってみることにしました


パンフレットをもらいに、駅の観光案内所にいきました
隣町とは合併して今は美波町といいますが、ここは観光に力を入れてて、以前の朝ドラ
”ウエルカメ”の舞台になった町です(そういえばヒロインの名前も波美でした)

 

アートフェス自体のパンフはなかったんですが、京都で通訳ガイドをしてる姉が
観光ボランティアガイド(無料)のチラシを、めざとく見つけました

さっそくカウンターにいたおじさんに聞くと、その本人がガイドしてくれるそうです(無料で)

 
「それでは行きましょう!」と、観光案内所をいきなり閉めて、すたすた歩きだしました


町のあちこちの古民家に、地元作家さん中心の作品が展示されていました

 
元漁師さんの木彫りや、絵画などが展示されていますが、どこにも必ず地元のボランティアの方が
付いておられて、町の人のボランティア
意識の高さを感じました

 
版画の作家さんはかなりの売れっ子だそうですが、たまたま在廊されてた写真家さんと少し話すと
その方が講師を務めていた写真学校が、ウチの前の工場の隣だったことが分ったりして
「世の中狭いなー」となりました


こちらの庭先では、フェルトペンで実際にイラストを描いてる方もいました

ここの町は昔からの門前町のためか、芸術家や文化人が多いんですね

 
(平面)は、実はあまりよくわからないのですが、この壁に掛けてあった右から二番目の書画が
めずらしく目に留まったので、値札を見ると一万円だったので、おもわず「これください」というと
店番の方は、いきなりあたふたしだして「ほ、本人がいないので売れません」といわれました

「値段が付いてるのでいいでしょ?」といっても、結局売ってもらえませんでした

買いたいといわれたのは、たぶん初めてだったんでしょうね~、残念(まあ今度自分で書いてみよう)

 
こちらの町は、四国八十八か所の23番札所なので、この時期お遍路さんが沢山きていました
移住者さんがやってるカフェでオーナー君と話すと「あの人たちにこっちまで来てもらうことが
ウチのテーマです」と言ってました(たしかに)

自分はもう一つ先の町の、いつもの竹細工の同級生に会いに行くので、ここで別れましたが
姉貴は自分のガイドの向学のために、お寺の中までじっくり案内してもらって
一時間のコースが3時間かかったそうです

ボランティアガイドのおじさん、ほんとにお疲れ様でした(何と80歳だそうです)
お礼に案内書の英語表記の訂正訳をしてあげたそうですが、それじゃ全然足らないですね

・       ・

竹細工の同級生は、去年ウエルカメのロケ地だった道の駅にある、この舞台でのイベントを
観光協会から頼まれて、仲間を集めてやったそうです

 
でもその時の画像を見ると、後ろが倉庫のままなので、余りにも殺風景でもったいないブログからの画像)

そこで、ボランティア精神に感化された自(この町の高校OBだし)、この舞台の背景装飾を
次回の帰省の時に、ボランティアすることにしました

(と、協会長に言った手前、その時までになにか考えなくてはいけませんが、まだアイデアが・・)

・      ・


それと、この町に移住した会社の実話を元にした、”波乗りオフィスにようこそ”も
もう公開されてるそうですが、どこでやってるのかよくわかりません(笑)
でもこの映画の影響だけではないと思いますが、ここに都会から出向
してきた会社は
もう17社にもなるそうです(すごーい)

徳島はネット環境がいいので、IT企業にはウケがいいんだそうですが、撤退はしないで
頑張ってほしいもんです

5月20日 多可町オープンガーデン


兵庫県の多可町は、オープンガーデンの盛んなことで有名なんですが、ここはヨメの姪っ子の
嫁ぎ先でもあるので、オープンガーデンを見てから会いに行くことにしました

 


多可町は、去年行った西脇市の隣なので、ランチはまた播州織の”tamaki niine”に行ました

こんなに早く、またこの風景を見ながらランチが出来るとは思いませんでした
やっぱりここはいいですねー

 
ギャラリーのディスプレイが、道の駅の舞台のヒントになりそうなので、撮らせてもらいました

オープンガーデンは姪っ子の所を入れて3軒しか回れなかったんですが、どちらもすごかったです


 
こちらは、とにかくお庭いっぱい花、花です

 
あちこちにある造形モルタルは、奥さんが自作されたそうです(定番のアリスもありました)

 
二階のベランダに上がる螺旋階段から、庭を一望できるのも斬新でした

・     ・

 
うって変わって、こちらのお庭は大きな木に囲まれて、まるで森の中のようで、
ここはほぼ自分好みの、どストライクの庭でした

 
こちらも作庭は奥さんがメインだそうですが、旦那さん作の小屋や小花のアプローチも素敵です


 
でもこちらでの一番のお気に入りの場所は、家の入口までのアプローチとその奥のスペースです

多分この庭はここから始めたはずなので、ここがその原型のような気がしました
あえて作り込みすぎない植栽が
、時と共にしっくりと馴染んでて、とっても癒されます
こんな場所ならいつまでも居たくなりますねー

・      ・

そして姪っ子の家のお庭です

 
こちらも自然な感じのお庭ですが、どことなく和のテイストも感じます


それもそのはず、本宅の前には立派な和風庭園がありました
洋風ガーデンを見た後に、こんな本格的な和庭をみると、逆に新鮮に映ります
作るのは難しいけど、和庭は多分一つの究極系で、
ガーデニング本場で憧れる人が多いのも
少しわかる気もしました


メダカが泳いでる石臼の水面が、ここの世界を象徴してる気がしました


それにしても、各お庭を作ったご本人さんとお話しすると、庭はホントにそのお人柄を
表してるなーって思います

今回は行く前は実はそれほど期待していなかったのですが、そのレベルの高さにびっくりしました
吹田から一時間半位と意外に近いので、次回はもっとたくさんのお庭を見てみたいもんです

それと姪っ子の旦那さんは庭屋なので、またいつか何かでジョイントしたいと思っています

3月22日 イチロー最後の打席

イチローがとうとう引退してしまいましたねー

MLBにデビューしてからは、この19年間ずっと見てきて、このブログでも
その節目に2回ほど取り上げたので、今回もちょっとコメントしたいと思います

ただここ数年は不振が続いて苦しいシーズンばかりでしたが、それでも最多安打(日米通算)
3000本安打も達成して、ほんとにお疲れさんという感じです
本人はまだまだやりたかったようですが、これでやっと”フツーの人”の戻れるわけなので
これからは、色んな意味でもっと野球を楽しんでほしいと願います

それにしても日本での最後の2試合、去年の5月からずっとこの日を待ってたわけなので
何とか一本、ヒットが欲しかったですねー
まあ一年近くブランクがあったので、いくら準備をしてたとはいえ、やはり衰えは隠せませんでした

でも、最終打席はホント惜しかったです


打った瞬間は、飛んだコースからヒットを確信したんですが・・



というのは、このセンター前の当たりは、シーズン最多安打や、WBCの決勝のヒットと同じ打球で
ここ一番では必ずこれで決めてきたんです

ところが今回の打球は、センター前には抜けずに、なんとボテボテのショートゴロ(なんでやー)

 

ショートは普通に取って、一瞬握り直してから一塁に投げました

 

それでもイチローの走力は衰えていないので、すでにベースの手前まで来ています
球とどっちが早いか・・

画面では、ほとんど同時に見えました


イチローも、走り抜けてから審判を見ています。さあ、どっちだ

でも、コールは無情にもアウト!、イチローもがっくり
アメリカでならビデオ判定をしてもらいたい位、ギリギリだったようですが・・

もう一度見てみると、たしかに捕球時には足がまだ数センチ浮いてる様に見えます・・残念!

センター前に抜けるはずの打球が、ただのショートゴロになることに年齢的な限界を感じますが
逆にもっと遅い打球なら内野安打になったわけで、ツキのなさもまた潮時を感じます

4000本以上打ってきたイチローにとっては、いまさら一本増えることにたいした意味はないのかも
しれませんが、今回は一年間の苦労(意地)があっただけに、この一本は価値があったはずです

まあでもこれが逆に、それだけシビアな世界でやってきたんだということの証なのかもしれません

・     ・

ところで、あのいとも簡単にヒットを打ってた頃のイチローは、いったいどこに行ったのかと思い
自分なりにその原因を少し考えてみました(技術的なことは分かりませんが)

まず思いつくのは、イチローのキャラクター人形で、それは3頭身の頭でっかちです

そしてこの人形と同じように、最近のイチローはだんだん頭が大きくなってきたような気がします

  
左が渡米直後のイチローで、右がその10年後のヤンキース時代



そして、その数年後のマーリンズ時代
たしかに大きくなっています

・・という事はもちろんないので、つまりは体が小さくなってきたという事なんですね
筋トレはしないそうですが、やはり体が小さくなった分だけパワーは落ちてるはずで
それが不振の一因かもしれません

そしてもう一つ変わったのは、その雰囲気というかオーラのようなものです

 
まさに無双状態で打ちまくってた頃は、野武士の様な風貌でしたが

ヤンキースに移った頃からだんだんと粗っぽさが消えて、最後は髪型からも
お坊さんのような雰囲気になってます

もちろん人間的には大きく成長したんでしょうが、選手としてはデビュー直後のあの
ふてぶてしい感じが一番魅力的でしたねー(当時は自分も真似して無精ひげを伸ばしてた)

・     ・

そして、イチローといえば、これ!これ!


柴犬の一弓です!きゃいーん♪


今回の引退会見で、まだ生きてることが分かったんですが、今年で18歳(人間なら100歳)
というその年齢に驚きました

「フラフラになりながらも、けんめいに生きてる姿に感動する」とイチローも言ってましたが
もしこの子がいなくなってたら、もっと早くに引退してたような気がします

~1月31日 フィットネスジムのバーベル その3


フィットネスジムのバーベルの3回目ですが・・

実は去年の12月から、このジムに通ってるんです

オーナー君に会うたびに誘われてはいたんですが、最初はまったく興味がありませんでした
でも彼の「体作りは体調改善にも効果があります。僕もそうでしたから!」
という言葉に乗せられて、試しにやってみることにしました

    

確かにここ数年は、運動不足と同じ作業姿勢が多いためか、肩や首のコリから来る
自律神経系の不定愁訴によく悩まされてました(もちろん年齢的なこともあるんでしょうが)

たまに整体で調整してもらってるんですが、整体はほとんど寝たままで、楽なんですが
どうしても全て他力本願っぽくて、その分効果も限界があるような気がしてました

筋トレはその逆で、ウエイトを使って自分の力で(無理やり)整体するようなもなので(?)
遠慮なくめいっぱい出来る分、もっと効果があるように思ったんです

ただ年齢的にそんなことをやって大丈夫なのかと思ったので、ちょうどあった毎年の検診の時に
いつもの主治医に聞くと「中性脂肪値が高いので、ぜひやってください!」とのことでした

それでもメニューをフルにやる自信がなかったので、ヨメを誘って、週二回で二か月16回コースを
ペアで受けることにしました(これなら休みながらできるし料金も半額なので)


・     ・

そうこうしながら、いよいよトレーニングの開始です


さっそくこのマシンを使うのかと思ってると・・

      

最初は地味~なメニューからでした。 これは今流行りのプランクというトレーニングで
プランク(板)になって腹筋と背筋を鍛えます。慣れてくるとウエイトを乗せてまるで拷問です(笑)


そしてようやくマシンを使ったトレーニングです


コーチがマンツーマンで、やり方を教えてくれます
とにかく正しいフォームを体に覚えさせることが一番の目的で、それがケガ防止にもなるそうです

ポイントは、胸を張って肩甲骨を広く可動させることですが・・(イテテ!)

  
コーチはオーナーを含めて二人いるので、こっちが二人で受けても結局あまり休めませんでした(笑)
たまには逆に、二人掛かりでコーチング(&追い込み)してくれます(赤鬼、青鬼)
(最初は大谷翔平だったオーナーが、だんだんと前田日明にみえてきた)

 
ヨメも予想以上にがんばっています

    
重いウエイトを使う時は、腰を痛めないようにベルトをきつく巻きます
これは80㎏まで何とか上がりましたが、限界近くやる時はコーチのサポートなしではさすがに怖いです
ここでも肩甲骨を寄せて胸を張るんですが、猫背(巻肩)の自分にはきつい姿勢でしたねー

ちなみに、定番のベンチプレスは40kgから初めて、最終日に目標の自分の体重(60kg)を
上げることができましたが、もういっぱいいっぱいでした

(上げる前にすでにビビってます。オーナーはこれを100kgでトレーニングするそうです。バケモンや)

とにかく、学生時代の部活以来のハードトレーニングで、この二か月いつもどこかが筋肉痛でした
途中で「健康のためにやってるのか、寿命を縮めてるのか分からない」とか
「ほんまにシニア向けのメニューかあ?」と愚痴ると「これ以下はリハビリのレベルになります」
といわれました
(まあそのラインを見極めるのもコーチの役割なんでしょうが)

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・・まあそれでも何とか、二か月のコースをヨメと二人で無事に修了することができました

 
やったー!
(途中で挫折したらブログアップもできなかったはず)

ずっと付いてくれたコーチのサポートがなければ、とうてい一人ではできなかったので、感謝感謝です
そして年齢的には逆に今しかできないタイミングだったかもしれませんね

二か月で体重は3㎏減りウエスト-5㎝ですが、食事は夕食後のお菓子をヨーグルトに
変えただけで、後は普通に食べてたのに
週二回の筋トレだけでここまで変わるのは、
自分でもちょっと不思議な気がします

また体をトレーニングをすることで、なぜか精神も前向きになるようで、日々の生活にやる気がでます
歳だからと、半ばあきらめてた事に抵抗できる事(してる自分)が、新鮮だったのかもしれません

ヨメも体重はあまり変わってないのに、テニス仲間さんから「やせた?」と言われたそうです(なんで)

まあ体型よりも、半ば強引に姿勢を矯正したことで、肩と首のコリが楽になり、特に肩甲骨の可動域が
広がったことで、背中のハリも軽くなって息苦しさがなくなったのが一番うれしかったですね

お世話になったこちらのジムには、卒業生特典の割引コースもあるので、また時々こようと思っています

10月9日 屋根の補修(一回目)

台風21号で傷んだ屋根の補修に、ようやく屋根屋さんが来てくれました
ほぼ一ヵ月待ちでした


屋根に上がったのは二階のベランダからで、以前作ったポリカの雨よけが今回の台風で
一部壊れた箇所があったので、受けの角材を一本外して、そこから脚立で上がれました

  
補修場所はベランダから大分距離があるんですが、さすが屋根やさん、高さ10m近くある
屋根の上を
平気で歩いていって、そこの写真を撮ってました(こわ~)

 
後で写真を見せてもらうと、一番上の棟の板金が飛んで、カラーベストも2枚程割れています


トタンのやり替えは板金屋さんになるそうで、今回は防水シートをかけて応急処置をしてもらいました
ブルーシートだと耐久性がないそうで、厚めのシルバーのもので、砂袋も劣化しにくい
UVカットの土のう袋を使ってくれました

これで雨避けはできたので、とりあえずは安心ですが、保険適用のための必要書類は
沢山たまっている見積もりに追われて、かなり後日になるそうです


脚立の上からお隣の屋根を見ると、地震の時にかけてたカバーがとれて、瓦も一枚めくれてたので
写真を撮って伝えましたが、やはり下からでは見えなかったそうです

でもやりかえ作業は、ウチも含めてまだまだ先になりそうですねえ・・

10月28,29日 播州織の工場見学旅行

播州織ブランドの”tamaki niime”より秋冬物のDMが届いたので、展示会にはちょっと早いんですが
見に行きたくなったので、ついでに播州方面に
一泊旅行することにしました

ヨメは、小さい部屋さんでここのショールを見つけてから、ずっとファンなんだそうです

近くの店舗で聞くと、ランチを予約したら工場見学もできるそうなので、その場で予約しました

 
中国道を西に二時間程走って、西脇市という所の田園風景の中に、工場はありました

 
入った所は、広いショップになっていて、その奥が工場のようです
ガラス張りでショップからも見えるようになってます

 
ずらーっと織物の機械が並んで、実際にここで作ってるそうです
撮影歓迎とのことで、たくさん撮らせてもらいました

 
若いスタッフさん二人が付きっきりで、熱心に説明してくれました
「バイヤーじゃない素人の一般人なんですが・・」というと、「お客さんに実際に作ってる所を
体験してもらって、製品のイメージを膨らませてほしいんです」とのことでした


 
使ってる機械は60年代が中心の年代物が多く、コンピューター化されていないアナログですが
最新式の物よりこの方が、あの独特の肌触り感がでるんだそうです

(その分機械のメンテ作業が大変だそうです)

ヨメ曰く、まるでペットを抱いているような肌触りで、これで織ったショール一枚で、
上着一着分ほど暖かいと言ってました


2年前にここに移転したそうですが、以前ここは染色工場だったそうで、
一部はそのまま染色コーナーになってました

 
外のハウスでは、コットンの綿花まで栽培していました他に畑もあるそうですが
確かにここまでこだわると、全ての工程をやりたいということになるんでしょうねー


縫製してるすぐ横にソフト部門の机があるので、デザインと実際の製作の距離が近い分
イメージしたものを直ぐに形にできそうです

大きな工場なのに、そんな工房的な感じがあちこちにあるので、工場というより
播州織のファクトリーという呼び方が、ぴったりな場所でした

1時間程で見学を終えると、ちょうどお昼になったので、いよいよ二階の社員食堂でのランチです


階段周りも、手作りっぽいカフェの入り口のようです


中は広々とした明るいスペースで、おしゃれな社員さん達と一緒に、地元の野菜中心のお惣菜を
ビュッフェ形式で頂きましたが、全部おいしかったです


座った窓際の席からは、きれいな川のある外の風景が見えます

こんなフツーの田舎なのに、中では個性的でファッショナブルな若者が沢山働いてることに
ちょっと不思議な感じがします

都会よりも田舎でおしゃれに暮らしたいという若者には、ぴったりの職場かもしれませんね

これはいただいた社内新聞の、工場の改装前の写真ですが、この時、tamakiさんの頭の中には
もう今の工場のイメージがあったはずです(背中に決意が表れています)

規模は全然違うけど、自分も10回近く工房を変わったので、この時の不安とワクワク感はちょっとわかる気がします

 

  
そしてこの工場ができたわけで、もちろん色々あったでしょうが、強い思いは実現するんですねー

それにしてもすごい規模です。女性のオーナーさんですが、やることは男前でかっこいいです

ついでにH鋼も強いので、前の工場がそのまま使えたんですね。まだ二階もできそうです

・     ・

工場を出てから、すぐ近くに”日本のへそ公園”という変な名前の公園があったので、行ってみました

 
気持ちのいい秋晴れの公園でしたが、紅葉には少し早かったようです。”晩秋”に来たほうが・・(^^;)

 
”日本のへそ”の意味は、つまり東西南北の中心だということですね

 
そしてここが、その真ん中の真ん中。もちろんこの後、”お約束の”真ん中立ちをやりました(笑)


・      ・

 


泊まった宿は海沿いにあったので、窓から浜が見えました


付属の小さなチャペルは海に浮かんでるようです


下の浜に降りると、ぎりぎりで夕日が見れました


こんなランプオブジェの展示販売もやっていました
定期的に地元の作家さんの展示をされてるそうですが、このホテルにはピッタリの作品でした

・      ・

帰り道に三田に寄って、まだ行ったことのなかった有名な、”エス・コヤマ”にいってみました


ウッディタウンの住宅地の一角ですが、駐車場はちょっとしたショッピングセンターのもの程あり
誘導する元気な警備員さんが、3人もいました

食に疎い自分は小山ロール位しか知らないのですが、今は他のスイーツ全てに人気があるそうです


ウイークデーだったので人は少なめですが、それでも行列はお店の外までできてました
一日4000人来ることもあるそうです。ほえ~

 
数軒が点在してるお店の周りは、きれいに植栽されています

  
あちこちにユーモラスなオブジェが置いてあって、お菓子の遊園地のようです

そしてその中でも一番興味深かったのは、チョコレートの館(?)でした

  
重厚な鉄の扉を開けると、うねった土壁風の中に鉄のオブジェが置かれて
ショップというより、前衛的な美術館のようです

  
この壁は左官仕上げなんでしょうか? 
ちょっと久住さんっぽいですが・・

 


試食コーナーは、都会の隠れ家バーのようです

オーナーパティシエの小山さんが、テレビの対談番組に出てたのを以前見たことがありますが
相手のベネチアガラス作家さんとの対談の様子から、アートに対する造詣の深さが感じられました

パティシエは一種の立体作家ともいえるので、そのセンスが空間作りにも生かされているんでしょうね

それにしても、播州織の人もそうですが、(お金持ちの趣味ではなく)ビジネスとして成立させながら
自分のこだわりを追及する姿勢も、ここまでくると爽快です
地域活性には(行政の補助金より)こんな天才達の力がやっぱり必要なんでしょうねえ

9月18日 タメ子のshow㋲Night

お仕事仲間の一人が、動画をアップしたので紹介します

普段はフリーでテレビの小道具なんかを作ってるんですが、最近動画作りにハマったそうです
でもアップしても誰も見てくれないので、やる気がなくなってきたのでリンクしてとのことです


とりあえずこれが一回目の分だそうです(画面をクリックすると再生されます)

 
仕事柄か小物作りのネタが多いようですが、よくあるハウツウものではなくて
子供のお遊びっぽい物のようです

本人は「自分の頭の中は小学生のまま」だそうですが(確かに!)
そのせいか子供だけはウケがいいそうです

全部で15本程あるようですが、後半はタイトル通り”しょうもない”ものメインに流れていったようです

 

ちょっと気色いですが、まあお暇なら見てあげてください
(できればコメントも)
ひとケタの閲覧数が少しでも増えれば、またやる気もアップするかもしれませんので(笑)
めざせ!ユーチューバー(?)

8月14~17日 田舎のお盆2018の風景

田舎のお盆は、台風の余波でいつもの海水浴場も珍しく波がありました

 

監視塔のフラッグも、青から黄色になってます(赤なら遊泳禁止)


これくらい波があればボディーボードが出来るんですが、この日はお墓参りのため時間がありません


次の日に行ってみると、もう波は無くなってました(残念!)
それにしても人が少ない

子供が小さかった頃は、この木陰で毎年キャンプしたもんです
すぐ横にトイレと水場もあって便利なんです(もちろん無料です)

お墓参りの帰りは雨上がりだったので、沢山のカニが出てました

  
このカニは、陸に住む”アカテガニ”といって、大きいのは10㎝程もあります(でも多分食べれません)
子供の頃はよく捕まえて遊びましたが、今は天然記念物にも指定されてるそうです



地元では道路標識にもなってます(どう注意すれば・・)

  
最近のセミと違って昔いじめた記憶がまだDNAに残ってるのか、すぐにマイ穴に隠れます
たまに黒いのもいます


  
帰り道の横には小さな川が流れていて、この河原では自分達で作った船で遊んだもんでした


田舎の風景は、いつも昔の事を思い出させてくれますが、そのまま下流へ50mも歩くと
港に繋がる海水の混じった広めの川になります

  
正面の小さな橋を越すと、どんどん広くなって、船を繋いでる港に着きます

  
そして、港の一番端の防波堤の向こうはもう外海です

さっきの上流からここまで、つまり村の端から端まで、ほんの500m程で、歩いて10分もかかりません
今思うとほんとに小さい漁村なんですね)



その防波堤から沖の方を見ると、波間に何か見えました
あれはたぶん・・

  
いつもの遊歩道を歩いて、近くに行ってみることにしました




波間に浮かんでるのは、やっぱり一人のサーファーでした

せっかくなので、一本乗れるまで見てみることにしました(スマホなのでアップは撮れませんが)


しばらく波待ちした後に、いいのが来ました


パドリングしてタイミングを合わせます
さあ、立てるか?


テイクオフ!おーなかなかうまい


ターンも決まりました


そして撃沈!

ここはいつも子供とシュノーケルでモリ突きしてた場所で、海の中はガタガタの
岩場になってるので、あまり岸には近ずけないはずです

すぐ隣の入江にはローカルサーファーのポイントがあるんですが、ここは足場が悪いので
めったにサーファーを見ることはありません(以前横の古民家に住み着いていたジョン以外は(笑))

まあでも、これはうらやましいですね

波乗りしながら暮らせたらサーファーにとっては、サイコーの生活かもしれませんが、
それを実際にやってる人が隣町にいます


数年前に東京から移住してきたIT会社さんで、もちろん社員全員サーファーです


そして、その社長さんをモデルにした映画が、今作られてるそうです
タイトルも”波乗りオフィスにようこそ”で、旅番組の関口知宏さんや宇崎竜童さんがでています

撮影は、地元名物の”チョーサ”の撮りを残すだけで、完成すれば来年公開予定だそうです
(ウエルカメの二の舞にならなければよいが・・)

チョーサというのは、地元の太鼓屋台を担ぐ祭りのことで、掛け声も「チョーサ!」といいます


(地元のミニコミ誌より)
そして最後はそれを海に入れるのがクライマックスで、これはけっこう危険なシーンなんですね



勇壮な神事以外に、ウミガメが有名なところなので、こんなかわいいベントもあります


ちなみにウチの町内では、本物の神輿を海に入れます(これまた危険



・      ・

竹細工の同級生は、毎年お盆は徳島市の阿波踊り会場の近くに出店してたんですが、
今年は阿波踊り自体が色々トラブってたようで、もう少し北の鳴門市にある
ドイツ館という所のイベントに参加したそうです

3日間出店するそうなので、帰り道にちょっと寄ってみました


初めて行ったんですが、かなり立派な建物です


イベントの目玉のドイツビールは一日で完売したそうで、その横が手作り品コーナーになってました


埼玉出身の、かなりファンキーでお茶目な彼の奥さんも、竹細工で動物のストラップ等を作ってます


今回の新作は、なんとゴキのマグネット!
「冷蔵庫に貼るとリアルでいいじゃん!」と、いつものノリでしたが、こりゃ売れんでしょ(笑)

  
会場前の看板に、”第九のふるさと”と、あったので読んでみると、ここが初めて
アジアで第九を演奏した場所で、それがちょうど今から100年前だったそうです

  
ここは元、第一次大戦のドイツ兵捕虜収容所だったそうで、当時の日本はドイツとは
直接戦争をしていないので、地元の人は捕虜を”ドイツさん”といって親しく接したそうです

 
その時に、音楽をはじめ、最新の土木技術やパン作り等も一緒に教えてもらったそうです

捕虜と地元の人が友好的に交流するとは、今ではちょっと考えられないことですが
素朴な田舎の人だからできた関係のような気もします

・       ・

おまけ

  
母親の新作はフェルトで作った”ユメちゃん”。色が違うけど、ちょっと似てるかも?

8月28日 よしもとばななと、立原正秋と、根津甚八



以前、
お店をやるきっかけになったのは、たまたま読売新聞で連載されてた、よしもとばななの
”海のふた”を読んだことだって書きましたが、それが映画化されて今上映してるそうです



まだ見ていないのですが、多分”かもめ食堂”のような映画になってると思われます(?)


よしもとばななは、それまでほとんど知らなかったんですが、それをきっかけに
初期の作品も含めていろいろ読みました(Amazonべんりー

まあ、普段からネットメインで、それほど本を読む方ではないのですが
ばなな女史以外によく読んでたのが、戦後の”流行作家”として活躍された”立原正秋”です


実は30年以上前に、”恋人たち”という、鎌倉を舞台にしたお気に入りのドラマがあったんですが
その原作者が立原正秋だったので、ついでにAmazonでとって読むうちにハマったんでした

そして最近読んだ、ばなな女史のエッセイで、彼女が若い時に影響を受けた
数少ない作家の一人が、立原正秋だという事を知りました

一見、作風もまったく関連がないような二人なので、かなり意外でしたが、
自分の好みも、そんなところでつながってたのかと思うと、ちょっと納得


そしてこのドラマの主役に出てたのが、当時売れっ子の根津甚八でした


若い頃の矢沢永吉のようなギラギラした雰囲気を持つ、今はあまりいないタイプの役者さんでした
共演はデビューしたばかりの大竹しのぶで、今のイメージとは大分違う清純派女優の頃です

原作の、一見粗野な言動の内に繊細な知性と暴力性を併せ持つキャラクターは(多分立原氏自身がモデル)
彼にはぴったりのはまり役で、30年以上経った今でも彼以外にできる役者が思いつきません

まあいくら原作がよくても、それを具体化できる役者がいないと、同じものにはならないので
あの時代の全てが、いわば一期一会で、もう二度と再現できないんだと、改めて思いますね・・
(DVD出してくれないかなあ)


彼が亡くなった時に、大竹しのぶが「色気のある役者がまたいなくなった」と言った言葉の端々には
若かった時の憧れが含まれていたような気がしました

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そしてそのドラマのテーマ曲が、役者としても出てた桑名正博の、”ロンリネス”で
これまたお気に入りの一曲なんです(ナチュラルに歌うまい。女衒の役もハマってた)

そこで、今年の夏の終わりはこの曲