週末セカンドライフ 6月

梅雨が明ける前から真夏のような日になりましたが、今年も猛暑になるんでしょうか

 
前庭のオルレアもすっかり花を落として、種が付いています

 
代わりに色んな花が咲きだしました


日差しがきつくなってきたので、玄関前の雑木林の道が気持ちいいです

それにしても、今年はブドウの実付きがいいので楽しみです

   
リビングには、オルレアの代わりに咲いた花が生けられてました

裏庭も元の和風に戻りました

ボウフラ対策で池にまたメダカを入れましたが、亀に食われないように気をつけるんじゃぞ


今月のお稽古の床は、「一雨潤千山」(いちうせんざんをうるおす)です

千の山をうるおすのも一粒の雨、その一粒があればこそ、
ひと雨降れば、千の山が水の恵みを受けられる。
人間ひとりひとり、行動のひとつひとつ、
全てがめぐりめぐって他の人や社会の役に立つ、という考え。
“自分なんて”と思う必要もなければ、
せっかく何かをやるのなら、
「もっと分かりやすいように」「もっと喜んでもらえるように」と
何がしか周囲にやさしさを届けましょうという教えのようです
(禅語のネット検索より)

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駐車場に展示してたガーデンハウスは、先月左の休憩小屋バージョンが売れたんですが
右側の販売ブースバージョンも今月売れました
遠い場合は発送するんですが、今回はたまたま近江八幡の方だったので、一週目にご夫婦で
実物を見に来られて、その場で2週目に組み立てもしてほしいということになりました


見に来られた時に一部部材を積んで帰ってもらったので、何とか残りはセレナに乗りました


お家自体は建ててからまだ一年ほどで、これから庭を作っていくのに
まず中心になる小屋を立ててからやりたいそうです


お庭の外には、屋形船の通る川がすぐ横にあります


まず床パネルを組んで立てる位置を決めます


位置が決まれば、小屋自体の組み立ては30分ほどでできました
下の土の部分にたくさん杭を打って倒れ止めもしました


この小屋の周りに植栽して庭を作っていくそうですが、お隣の壁が背景になるより
ずっと庭も映えると思います。
川をよく通る屋形船からも見えるはずです


終わった後に、近くの蔵を改装したカフェで、お昼ご飯をごちそうになりましたが
こちらの旦那さんはウォーリーズ建築の保存活動をされてるそうで、普段は見れない
ウォーリーズ建築をみせてもらいました

  
以前近江八幡に来た時も、いろんな建物を見学したのですがここは初めてです

  
洋風と和風が絶妙にミックスされたデザインのウォリーズ建築は、近江八幡には
沢山ありますが
不思議と和洋折衷の違和感がなくて、なぜかちょっと懐かしい感じがします




後日、奥さんがフェイスブックにアップしてくれました
奥さんはタイの方で、お友達もすべてタイ語でのコメントでした


中は何とご自分でDIYされたそうですが、すでにタイリゾートになってます


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3週目は、大学時代の友人夫婦が横浜から遊びに来て、一泊していきました


彼は車が趣味で、買い替えるたびに長距離ドライブを兼ねてやってくるのですが、
赤いスポーツカーで来た前回からは、7年ぶりだそうです(そんな経つんやー)

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今回はベンツのオープンカーだそうですが、荷物の積めない車には全く興味がない自分には
価値がさっぱりわかりません(笑)

彼とは同じ機械科だったんですが、お二人とは「あるこうかい」というサークル仲間でもあって
3回生の時は、彼が企画部長で自分は新聞部長でした(自分はもう一つの心理研とのかけもちでしたが)

 


せっかくなので話のネタに昔の写真を探してたら、その新聞(サークル季刊誌)が2冊見つかりました
ガリ版刷りが時代を感じますが、ちなみに右側の表紙の挿絵は自分が書いたもんです(なぜか和風)

サークル自体は大学横にあった短大の女子と、お知り合いになるのが目的のナンパな動機で
一つ上の先輩が作ったもんですが、結局彼もそこで知り合った彼女と結婚したんですね

40人ほどいたメンバーを、毎月企画部がどこかに連れて行って、新聞部はその後日談を
記事にして配るというパターンでしたが、大人数をハイキングや旅行に連れて行くのは
けっこう大変で、執行部は毎回協力して何とかやってました


自分が部長になってからは旅紀行だけでなく、いろんなミニ企画を(勝手に)やって記事にしました
これは映画紹介企画で、その映画がなんと「八甲田山」だったんでした(ふるー!)

あと自分の趣味で、近くの鎌倉にお気に入りの子達だけ誘って焼き物を作りに行ったりもしました

まあ職権乱用かもしれませんが、大人数だと決めたプランに反対する人が、不思議といつも一定数いて
それをまとめるのが邪魔くさくなってきたんですね。強制力のないサークル活動あるあるかもしれませ
んが、そういう人は自分で代わりのプランを出すことはなくて、人の決めたことを批判するだけでした
その経験からその後の自分は、オーバーに言えばその人たちを反面教師にして生きてきた気がしますが
今考えると、もともと自分にはそれを受け入れる協調性がなかったのかもしれません(今でも組織は苦手)

 

クリスマスコンパの時は、有志を募ってショ ート演劇を上演したこともありました


脚本と演出(と通行人とパンダも)は自分がやりましたが、その時の台本も一緒にみつかりました

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「マッチ売りの少女」というタイトルですが、当時ホームランの世界記録を作った王選手や
人気絶頂だった沢田研二が「勝手にしやがれ」を歌ったりのドタバタ劇でした(なつかしー)

でも放課後に集まって練習したかいもあって、めっちゃ受けました(今見るとギャグが古いですが)
その後「つかこうへい」にはまったのも、この時の影響かもしれません
(ああ青春!)