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年末は大雪になって、最近は暖冬が続いていたのに、今年の冬はひょっとしたら寒いんでしょうか
冷夏とは言いますが、冷冬とはなぜか言いませんよね。でもいかにも寒そうな語呂で嫌ですねー
オミクロン株はまだ爆発的な流行にはなっていませんが、市中感染が始まってるので時間の問題でしょう
今年も年末の帰省は2年続けての自粛になりそうです
ただ症状は軽いそうなので、このまま普通の風邪の一つになっていってほしいもんですが
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前庭の花はもうほとんどありませんが、家の横の通路のヒメツルソバが満開です
冬に貴重な花をつけてくれるのは、ありがたいですね
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先月京都の小さい部屋さんから、天井に吊るワイヤーリングの注文がありました
できたので、持っていってついでに、それを吊るすワイヤーも天井に張りました
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2週目にその展示に行ってみると、リングを使った大きなリースがいくつも天井に吊ってありました
、今回は、ボルタ二カ展だったので、色んな植物の飾りが展示されていました
どこにでもある雑草を使って作ったものだそうですが、みんな一つのオブジェになってます
ツリーの代わりに壁に掛けると、ちょっと大人なクリスマスの飾りになりそうです
それにしても、こんなもんを思いつく作家さんのセンスには、いつも驚かされます
、ツリーといえば、今年は珍しくウチもクリスマスツリーを飾りました(本物の木ではありませんが)
5段組で全部立てると3mの高さになるので、下の一段分を外して4段で立てました
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これはあるクリスマスイベントの撤去品で、終わった時点でまだクリスマスまで日が残ってたので
捨てる前にウチに立ててみました
本業のイベントやディスプレイ仕事も、少しずつ復活してきたようです(また忙しくなるのは嫌ですが)
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先月造形物の画像をアップしたら、もっとお仕事画像を見たいというリクエストがありました
本業の製作ものはリアルタイムでは”大人の事情”(笑)で、なかなかアップできない事が多いのですが
時効(?)になった過去のお仕事の画像は、出せる範囲で少しずつアップしていきたいと思ってます
(そろそろネタもなくなってきたので、(^^;))
でも過去の画像ということなら、お仕事画像の前に、このブログのテーマの”お家DIY”で
まずアップしたかったのは、今の家作りのきっかけになった、この家のことです
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これは今の家の前に建てたもので、大阪の北の山の中にある別荘地に今でもあるはずです(もう人のものですが)
サイズ的には家というより小さいコテージという感じですね
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1階は16帖の吹き抜けワンフロア、2階は2部屋のロフトで、内装は当時流行ってた
ナチュラルカントリーです
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できた後も色々増改築したんですが、最後の年にはウッドデッキの上にサンルームも作りました
でも当時はまだポケベル時代で、携帯で写真を撮る習慣もなかったので、最初の頃の画像が
ほとんどないのが、今になるとほんとに残念です(その反省で今はマメに撮るようになりましたが)
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この家を作ることになったきっかけは、90年に大阪であった”花と緑の博覧会”、いわゆる花博です
今のお仕事を初めてまだ3年目で、ウチは”国際展示館”という所のディスプレイの入れ替えで
半年間毎週徹夜してました。(今でもあの夏の夜の、ムッとした熱帯の植物と土の匂いは記憶に残ってます)
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ある週のテーマだった”北海道の湿原”で、3帖ほどの小さい丸太小屋と木のアプローチを作りました
これも当時の写真がないので、記憶をたどって絵を書いてみました(周りの植栽は園芸屋さん担当)
一週間後にいつものように撤去したんですが、作った丸太小屋が自分でもけっこう気に入ってて
せっかくなので、いつかどこかに建ててみたいと思って、捨てずに工場に置いてました
そして花博が終わると、すぐにそれを建てるための土地を探したんですが、当時はネットがなかったので
新聞チラシの怪しげな土地を、半年分の稼いだお金を全て突っ込んで衝動買いしてしまいました
ところが、建てる前に仕事が忙しくなって、置く場所もなくなったので、その小屋キットは
泣く泣く捨ててしまいました
でも土地は買ってしまっていたので、次の年の仕事が一段落した時に、せっかくなので
ちゃんと住める家を作ろうということになりました
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これがその時にチラシの裏に書いたイメージ図で、ほぼこれだけを元に作りました
実際の工事は、当時ウチの仕事を手伝ってもらってた大工さんがメインで、後はウチの
メンバーと一緒に建てました
工法は建築家の友人に相談して、当時まだ珍しかったツーバイパネル工法で、工場でパーツを作って
現場で組み立てましたが、近くで別の家を建ててた大工さんが、そのスピードに驚いてました
パネル工法は、現場で作るツーバイ工法より正確性があり縦ネタも多く入れるので、強度も増すと思います
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当時の工事写真がないのが残念ですが、今回たまたま外観が完成した時に撮った
写真のコピーが見つかりました
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ほぼ最初のイメージ図のままできました
基礎と屋根と電気は地元の業者にやってもらいましたが、ここは躯体も作りました
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ここは元の古い別荘地を細かく分けて再分譲したものが60区画程あって、すべて完売してました
工事はウチが一番乗りで、まだ他の家が建っていませんが、その後周りに沢山の家が建ちました
でもウチ以外はなぜか使ってない人ばかりで、結局安く売りに出して殆どは世代交代したはずです
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中はまだ全然できていなくて2階に上がる階段もありませんが、ヨメも初めて見にきました。若~い(笑)
まだちびだった上の子供の頭も写ってます(下の子は横で這ってました)
ところがこの後に、買った土地に水が来てなかったり、販売元の不動産屋が逃げたりと、怪しかった土地は
やはり色々トラブルがありました(後で調べると、いわゆる原野商法の展開的なパターンだそうです)
まあすべてがバブルの名残りだったわけで、その解決のために自治会ができて、無事に水も出るようになりました
そしてその後、2008年に売って今の家を作りだすまで、途中ブランクはあったけど
月に1~2回は行って、延べ18年かけて色々作りました(試行錯誤の連続だったけど楽しかったー)
当時は2kの団地暮らしで、バブルの土地高騰で持ち家は諦めて、こことの二拠点生活をしてました
最近は趣味で二拠点生活をする人も増えてるようですが、ウチは30年前からやってたわけです(笑)
「週末お山のおうちに行く」というのは、ウチではイコール「工事に行く」ということだったんで
その時のルーティンが、今でも”週末おうち作り”(”週末セカンドライフ”に改題)として続いてるわけです
(子供たちは中学生になるとすぐに来なくなりましたが・・)
後半は自治会の役員もしたんですが、他の方はウチを工務店と思っていたので、家の補修を頼まれて
色々工事もしましたが、その経験で別荘の建物はホントにピンキリだということを知りました
別荘地は湿気が多いので、使わずに閉めきった家は傷みやすいんですが、ウチ自体は売る直前まで
工事をしていて、床下に大きな換気用のファンも付けていたので、売る時もほぼ新築のようでした
売りに出してから実質一週間で売れて、不動産屋も2番目の記録だと驚いてました(建物価格はなしでしたが)
使いながら作ったので、最終的に一番使い勝手がいい形になったとは思ってましたが
買主さんもとても気に入ってくれて(一度招かれた事もありましが)後日、自治会の会長もされたそうです
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ここでは子供の遊び道具もなるべく手作りしましたが、これも写真がないので記憶を元に書いてみました
前の道は長い斜面だったので、こんな木で作ったキャスター付きの車でよく遊んでました
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体重が増えるとけっこうスピードが出るので、ヘルメットと肘と脛のカバーもさせました(それでもかなり危険)
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あと、パチンコのライフル版を作って、ペットボトルや水を入れたビニル袋を打って遊びました
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夏は下の川で泳いだりお昼はいつも飯盒炊飯で、ここではどっぷりのアウトドア生活だったんですが
息子は、なぜかその後インドアのゲームオタクになってしまいました
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母屋を建ててから10年後に、横の土地がバブル崩壊の競売で安く売りに出たので、
買い足して離れの小屋を建てました
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この時は別の建築大工さんと一緒に建てたんですが、ツーバイ工法ではなく初めての軸組み工法で
そのプロの技を真横で見れたことは、とても勉強になりました
「木工を勉強するには家を作ってみるのが一番手っ取り早い」と、誰かが言ってましたが
ほんとにそう思うし、木工をやってると誰でも一度は家を作りたくなるのは、自然な流れなんです
このお家作りにはまだまだ沢山の思い出があるんですが、今やってる事は殆どこの時の焼き増しの
ような気がするし、ここが今の家作りにつながっていることを(資金的にも)改めて実感しますねー
その後に移転したのは、山の中で不便だった事もあったんですが、ここでは庭が作れなかったんですね
隣に買い足した土地が50坪程あったんですが、大きな石が沢山埋まってて、それを掘り起こして
少し整地すると、すぐに山の木がどんどん生えてきて、とても手に負えなかったんです
木を植えたかったのに、いつも切るのに追われるいう状態で、ホントに山の厳しさを実感しました
それでも庭作りはやりたかったので、結局”開墾”は諦めて、”里に下りて”もう一度始めたわけです
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まあそうこうして今の家と庭作りをやってるわけですが、まさかその後に茶室を作ることになるとは
本人もまったく予想外でしたね(若い時は、和風なんて全く興味がなかったのに・・)
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さて裏庭の木が落葉して、そのお茶室の周りもすっかり冬景色に変わりました
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お茶室の雪見障子から待望の雪景色が見れるはずだったんですが、寝坊してすっかり溶けてしまいました
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日本画家のヨメのお姉さんから、掛け軸を掛けるための立派な竹の吊り棒(矢筈)をいただきました
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掛け軸を吊るための釘は、本来それ用のものがあるんですが、ウチは黒く塗ったスリムビスです
せっかく本物の矢筈をもらったので、これも変えなければ
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今月は先月に続いて板で書いた絵を掛けましたが、ぱっと見は先月のものとほとんど一緒です
これは選んだ絵の中で最後の2枚に残ったもので、ヨメはこっちの方がいいといったので
捨てずに置いてました(矢筈で掛けるほどのもんではありませんが(笑))
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横の生け花はお花がないので、剪定した枝にドライフラワーを足しました
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さてお茶室までの横の通路を和風にする続きです
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先月は石畳を敷きましたが、続いて横のフェンスを竹に変えたいと思います
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距離が10m以上あるので、たくさん作りましたが、シュロ縄を結ぶので指が痛くなりました
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横のフェンスはユメちゃんの脱走防止用に作ったので、10年近く経つのですが
横板は雨ざらしなのになのに、意外と腐らずにもってました
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次はこの入り口右側のスペースを、和風にディスプレイしたいと思います
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後ろの壁をこんな古びた板壁にしたかったので、フェンスをばらした板でパネルを作りました
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それを壁に留めてから、上に杉皮の小さい軒を付けました。いつかこれに苔が付くといいんですが
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前に植栽するために、培養土を盛ってからネットで取った5500円の石灯篭を奥に置きます
近くのホームセンターで和風の植物を買ってきて、ヨメに植えてもらいました
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奥の室外機を隠すために、丸太と竹スクリーンでパネルも作りました
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人工物はなるべく隠したいんですが、このパネルは別の目的もあります
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ついでに植物も少し足しました。アレンジは今流行りの”和風モダン”のイメージです
植栽はコンフーサやヤブラン等、ホームセンターで普通に売ってるものばかりですが
ほとんどは常緑で、値段が安いのもありがたいです(あと石が一個ほしい)
それでは、今年もよろしくお願いします