11月に入ってからは比較的暖かい日が続いたんですが、後半はさすがに冷え込んできました
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ヤマゴボウ(正式には洋種ヤマゴボウというそうです)も、葉が枯れて来ましたが、
幹は前よりずっと赤くなってます
このヤマゴボウは、ある方に聞くと、一般的なものより粒が小さくて落ちにくいそうです
だからドライにしやすいので、スワッグも作りやすいんでしょう
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庭仕事の道具を洗う、洗い場が外にほしいとヨメがいったので、作ることにしました
道具を置いてる、勝手口の横のスペースに作ることにしました
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水は裏のベランダの下にある外用の水栓から延長ホースで分岐して取ります
既製品の散水ホースで延長してるため、漏水が心配なので、帰るときは必ず元栓を止めてます
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流し台を付ける位置に、水栓の配管を立ち上げて蛇口を付けます
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この蛇口は以前ホームセンターで500円でワゴンセールしてたので、
長いのと短いの3個ずつ買いだめしてたんですが、
二階のトイレやあちこちに使って、これがとうとう最後です(もっと買っとけばよかった)
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洗い場のシンクは木ベースにピザ釜ルームで使った残りのタイルを張りました
流し台と横の作業台の二枚作りました。流し台の底はモルタルで傾斜を付けてから貼りました
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しばらく乾かしてから、スポンジでふき取るともう一度タイルが現れます
この瞬間がタイル張りの一番楽しいところですね
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それを置く台は、手摺に使ってたツーバイ材をバラシて作りました
防水用にフィラーを厚く塗りました
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シンクはモザイク模様のタイルですが、作業台は同じものがなくなったので
白のタイルを使ったので、ツートンカラーになりました
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バケツとの距離もちょうどいい高さです
排水はとりあえず下のバケツで受けて、畑に撒きます
この後は、後ろと横を板壁で囲って、プロパンを隠して棚を作る予定です
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大中の湖の話の続き
さて、前回からの会社員時代の話の続きですが・・(続ける意味はあまりないかもしれませんが、、)
雷に打たれそうになっても作業を止めなかった先輩の理由は・・
でも、それを説明するためには、その会社の事を少し説明する必要があります
その会社はいわゆるベンチャー企業で、ある農業用プラントのヒットのために急成長して
新卒の学生をリクルートしはじめてから、自分が入ったのはその3年目でした
でもベンチャーは、どうしてもブラック化(当時はそんな言葉はなかったけど)するもんなんですね
自分が入った時は、二年間で50人近く採用されたはずの先輩は、何と二人しか残っていませんでした
(自分は、その事は入る前からうすうす気が付いていたんですが、やってることが面白そうだったんで、
無謀にも、別の”ちゃんとした”会社に、ほぼ内定してたのを断って入ったんでした)
そのうちの一人がその先輩なんですが、彼は函館のある会社の跡取り息子で、東北の国立大出身でした
そして彼の入社の目的は、スパルタな親的には会社を引き継ぐための社会勉強(修行)なんですが、
もう一つは、大学の研究テーマをその会社で実際の製品にするという、学校側からの要望もあったんです
少し気が弱いけど、とにかく生真面目で律儀な性格の先輩は、つまり二重の社会的な期待を背負ってたわけです
そして、過酷な労働環境の中、二年間ひたすらその製品の完成を目指してたわけですが・・
まったくできません
しまいには、次のヒット商品と目論んで一番期待してる社長にまで、連日説教される毎日でした
でも二重のプレッシャーを抱えた彼は、やめたくてもやめられなかったわけです
(その製品とは、実は豚のオシッ〇を浄化するという機械だったんですが、後でわかったことですが、
それはとうていそのシステムでは不可能なことだったんです)
あの日はその機械の試運転の、最後のチャンスだったわけで
心身ともに追い込まれていた彼にとっては、雨も雷も、そりゃ眼中になかったはずです
(いやひょっとしたら、雷に打たれたかったのかも・・)
・・そしてその数か月後、彼は会社を辞めました
自分らの仲間内では「あのまじめなOさんがなにも成果を出さずに辞めるわけはないはずだ」と、ある噂が飛び交いました
つまり彼はオシッ〇を飲んで証明したと・・
今考えると、これは一種の会社残酷物語ですね(似たようなことは、どこでもあるのかもしれませんが)
まあやっぱりできないことはできないわけで、あまり頑張りすぎるのはよくないってことでしょう
そして、ブラック企業から逃れるには、逃げる(辞める)ことも必要だってことかもしれません
結局、雇われ側には”辞める”ということしか実質的な会社側への、”前向きな”対抗手段はないので
「逃げるは全然恥ではない」と思います
でも先に辞めた先輩が、こっそりと寮に来て「ここを出たら外は天国だぞ」と忠告してくれたけど
本人はもう思考能力が低下してて、なかなか決断できないんですよねー
(ちなみに後ろ向きな手段はサボることですが、まじめな人にはこれもストレス)
・・ところが、その後自分も同じような事態に陥り、結局自分も2年程で辞めることになるんですが
今思うと、そのトラウマが二度と会社員にならなかった原因かもしれません
だだその会社時代で学んだことも多く、他の会社では決して体験きない事を経験させてもらったと思います
元々自分で選んだ道なので、やってる最中は苦しかった半面、充実してたのも事実だし、そういう意味では
入社目的は達成できたわけで、”虎の穴”出身だっていう自負も、実はその後もずっとありました
(でも自分の場合は、ホントにたまたま運がよかっただけだと思います。実際それ以外にも3回ほどギリギリな目にあったし
辞めてからも、燃え尽きたのか、心身のリハビリにその後一年近くかかったので、良い子は真似をしないように)
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その他にも、自分が作った岩手のある村待望のプラントが起動式で暴発したり、鳥取で廃棄梨に埋もれて
死にそうになった同僚の事や、直るまで帰さない!と津山の畑で一ヵ月近く人質になったり、などなど
今だから話せる面白い(?)体験談も沢山あるので、またいつか紹介したいと思います