ねじ切り事始め






日本のねじの伝来は、1543年に、種子島に漂着したポルトガル人の船長から、   
藩主種子島時暁が鉄砲2挺を二千両で購入したことから始まる。            
藩主から一挺の鉄砲を与えられその模倣を命じられた、刀鍛冶の名人八板金兵衛が
どうしても 造れなかった部品が一つあった。                        
銃底を塞ぐための尾栓ねじの雄ねじ(ボルト)はなんとか造ったが、困難だったのは 
雄ねじがねじ込まれる銃底の筒の中の雌ねじであった。                 
      
とりわけ金属加工工具としては、「やすり」と「たがね」しかなかった当時、金兵衛は、
試行錯誤の結果苦心の末、尾栓の雄ねじを雄型として、火造り(瞬間鍛造法)で   
銃底に雌ねじを製作したのが、日本のねじ製造の起源として伝えられている。    
その後鉄砲は、泉州堺、紀州根来、滋賀国友村、などで、尾栓ねじの製造が改良、 
開発され日本全土に普及した                                 
ねじは兵器産業と共に発達したとも言えるのである。